恋愛、それは神聖な狂気である。」と少しリンクしています。




「伊助、どしたの」
昔はそんなになかった身長差がはっきりと表れ、今声をかけてきた佐武虎若という男は学年一大きくなっていた。何の因果か僕の身長はあまり伸びず、小さいままだ。三治郎も小さい方だしあまり気にしては無かったつもりだが喜三太と頭三つ分ほど差が出てきた時は思わず泣きそうになったものだ。
そんな自分とは反して大きく成長した男に急に話しかけられた。廊下ではなんだから、と部屋主が一人足りない相変わらず汚い部屋に通された。団蔵はと聞くと、今日は帰ってこないという曖昧な返事しか返ってこない。委員会か、もしくは。野暮な事なのでそれ以上は聞かなかった。ぐるりとそう広くもない部屋を見回して、ああ掃除したいなぁなんてぼんやりと思っていると、何ともない事のように虎若が恐らく定位置としている所に座り込み、ぽんぽんと自分の膝を叩いた。これが天然だから恐ろしい。膝は遠慮して隣で膝を抱え込むと自分はより一層小さくなった。

息苦しさを感じさせない沈黙が続く。虎若はいつも、どうしたの、と声をかけてくる事はあっても内容を無理に聞きださない。自分が口を開くまでひたすら隣にいてくれる。普段とは真逆の立場に上手く対応できない。は組の皆の様子がおかしい事に気付くのはいつも僕の方で、そして僕は何かあっても隠し通す性格な上に存外それがうまくいっているのでこうやって気付かれて気にかけられる相手は庄左ヱ門と虎若以外にはまるでなかった。
さて何から話せばいいのか混乱してきて、頭に浮かんだ内容を上手く整理できないままぽつぽつと口を開く。
「……最近の、さ」
口に出すのがためらわれる。今思い悩んでいるのは大切な同室者の事だ。そのまま少し沈黙してしまったがあまりに虎若が真剣にこちらを見つめてくるので観念して最後まで口にした。

最近の庄ちゃん、ちょっとこわい。

言ってしまった。一年からずっと同じ部屋の、大切な大切な友人がこわいなんて。虎若の口から団蔵が怖い、なんて言われたら僕はどうするだろう。乱太郎からきり丸がいつか危ない仕事に手を出すのではないか不安で仕方がない、と相談を受けた時はそうならない為に乱太郎としんべヱがいるんだろう、その為には組がいるんだろう、と言ったけれどまさか自分が同室者を恐怖の目で見る日が来るとは思わなかった。
「どんな風に?」
虎若は少し押し黙った後、「何故」とは聞かなかった。鈍感そうでいて実は皆の事をよく見ている虎若にも何か思い当たる節があるのだろうか。いつも冷静ね、と言われ続けている少しとぼけた所のある級長の異変を感じ取っているのだろうか。
「上手く、言葉にできない。ただ、張り詰めてる、危ういって感じがしてとまらないんだ」
いつ頃からだっただろうか。ある日突然彼は変わった。皆に見せる一面に変わりはない。けれど部屋に二人きりの時になると彼の気配は少しだけ黒いものに変わった。いつも以上に予習をするようになっていつも以上に復習に励んで、学んだ事、学べる事を一つでも取りこぼすまいという必死な姿勢が垣間見れた。その姿勢すら最近では上手く隠すようになった。けれど自分も忍びとして成長しているのだろうか、彼の異変などすぐ感じ取れるくらい長い間近くにいた為か。夜ひっそりと鍛錬に出る時は決まって気付いてしまうし、戻ってきた時の抑えきれていない殺気に怯えた夜もあった。
「何か、せいてる。焦ってる。けど」
僕にできる事は、何もない。それが現実だ。彼は人に弱みを見せる事をよしとしない。追求してもいつも上手くはぐらかされる。心配すらさせて貰えないのが現状だ。
「確かに庄左ヱ門は、危うくなったな」
虎若の口からこぼれた言葉に驚きはしなかった。やっぱり、という思いが強かった。もし庄左ヱ門の変化に気付くとしたら自分以外だと虎若くらいしかいないだろう。そのくらい庄左ヱ門は自らの変化を他人に見せず、そのくらい虎若は観察眼が深かった。
「でも、伊助がいる。庄左が道を踏み外しそうになったら全力で止めるだろう?そういう人がいるならまだ安心だ」
それに俺もいる。
根拠も何もない話だ。確かに彼が道を外しそうになったら全力で止める。けれど忍びとしての技量では彼にはかなわない。そんな彼を果たして自分が止められるのか。湧き上がる不安は虎若の「俺もいる」と言う言葉と笑顔の前に消えた。そのくらい力のある言葉と笑顔だった。

「…庄ちゃんの心配ばかりして、とか言わないんだね、虎若は」
虎若が投げかけてくる「どうした」は十中八九庄左ヱ門の事で悩んでいる時に降ってくる。その度僕は上手くはぐらかす事が出来ず結局すべてを話してしまうのだ。
「何でだ?伊助が庄左ヱ門の心配をするのは当然だろう」
何年同室だと思ってるんだ。当たり前のように彼は言う。僕はこわがりだ。だから、それすら実はおそれている。
「優しいね、虎若。僕はこわいよ、お前の事も」
初めて口にした、言葉。先刻は拒否した膝ではなく、彼に対して正面に向かって目線を合わせるように膝立ちになる。
「昔言ったよね、他人の心配ばかりしていると伊助が参っちまうぞって。でもそれは逆だよ。誰にも何も言わない、悟らせない虎若のほうがよっぽど怖い」
庄左ヱ門はあれでいて爪が甘いのだ。だから僕なんかに悟られる。けれど虎若は本当に悟らせない。団蔵を見ていれば、村の領主の息子だからだと言う言葉では片付けられないほど完璧に私情を隠す。庄左ヱ門が全てを隠そうとする事に対して虎若は本当に深刻な事以外は冗談のように団蔵に話したりするから逆に何も分からなくなる。
腕を首にまわして泣くように言った。

僕にくらい、甘えたっていいんだよ。

体格差が、悔しい。彼の大きな体を包んであげたいのに小柄な自分にはそれは無理な話だ。だからせめて、と首に腕を回すようになったのはいつ頃からだろうか。頭を抱え込むようにすると虎若はいつも優しく抱きしめてくれた。


弱音を吐かない人が、実はとてもこわいのだと僕は知っている。
以前のきり丸もそうだった。いつもピンと張りつめた糸のようで、少しの衝撃で切れてしまいそうだった。今は庄左ヱ門がそう感じられる。そして虎若はその緊張感すら感じさせない。誰が一番おそろしいのか。そんなの決まっている。

「……じゃあ、このままでいて」
抱きしめられた腕に力がこもる。抱きしめられる安心感を嫌と言うほど知っている僕は、気にはしていないと言った小柄な体がただひたすら恨めしい。
「こうしてると、安心する」
その言葉に涙が出そうになった。


村一つ分の重圧というものは、どういうものだろう。しがない町の染物屋の息子の自分にはわからない。鉄砲集。団蔵の村とはまた違う。彼が好んで使う、そして家業でも使用される銃火器は着々と進化を遂げて、確実に人の命を奪うものになってきている。刃物とは違う、人を殺める道具。命を摘み取る道具を愛でる己の心に付きまとう不安を吐露されたのは最近ではないけれどそう昔の話でもない。その時もこうやってただ頭部を抱きしめる事しかできなかった。自分にはそうする事しかできない。それで彼が安息を得る事ができるのならばいくらでも傍にいよう。こうやって、気付けない彼の不安に気付いたふりをして、抱き合って、そして次の日はいつも通りの朝を迎えるのだ。部屋を片付けろ、洗濯をしろ、そう怒鳴りつける日常を何もなかったように迎える。それを切実に彼が望んでいる事にだけは気付けた。
だから朝になったら一緒に溜まった洗濯物を洗濯しよう、なんて抱き合っているのに色気のない事を考えた。それでもこれが僕等の最善で大切な日々だった。最愛の彼への、自分が出来る唯一の慰めだった。けれどそれを彼が救いだと思ってくれているのならばいくらでも彼の力になりたいと、誓った事だけは確かな事だった。



明日はきっと晴れるから











2010/03/02
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