※雷蔵の性格がだいぶ酷いです














ところで僕の部屋には固定電話がぽつんと置いてある。普段の用は携帯電話で十分事足りるし、むしろ携帯電話以外使わないし、ファックスなんて使用する機会もなければ趣味もない上にファックス機能はついていない。一応ナンバーディスプレイ機能の付いたその電話にかけてくる相手は一人しかいない。そして僕はその電話にはでない。メッセージを残すでもないそいつの履歴ばかり重なって、リダイヤルはいつまでも真っ白なままだ。全くもって馬鹿なヤツ。いっそ184でも押して非通知にしてくればいいのに。けれどその番号を暗記までしている僕が、一番馬鹿なヤツ。


終電はまだあったけれど帰るのが億劫だった。もっと酒を飲んでいたいような気がして適当な店に入ってスプモーニをあおる。ああこんな量じゃ酔えもしない。だからといって所持金を全て酒に費やしてしまうのはしゃくな気がしていたら「独り?」と声をかけられた。ちょっと濃いけれど綺麗に施された化粧とか巧く巻かれた茶色い髪とか甘い香水の香りとか全てが嫌いじゃなかったから頷いた。
「でも僕、もう帰るよ」
嘘。帰る気なんてさらさらない。
「じゃあ奢るから一杯つきあって」
この言葉を引き出すための駆け引きはいつだってたやすく済んでしまう。自分から声をかけたならいざ知らず、向こうから声をかけてくると言うことはそこに下心が必ずと言っていいほど在るからだ。
「じゃあ、一杯だけ」
これも、嘘。一杯で終わらせない、と彼女の目が言っている。どうせ僕の金じゃないし、とその誘いにのっかるとした。その後用意された据え膳を頂くか否かの選択肢はあくまでも僕にあるし、奢って貰ったからといって礼を必ずしも返さないといけないなんて道徳観念は夜の町にも僕にも無い。
その後彼女の金で適当に飲んで、店を変えて始発まで飲んだ。そういう雰囲気にならなかったからホテルには行ってない。僕の朝帰りは頻繁だが必ずしもそれにセックスがついてくるわけではないのだ。

朝日と共に自分の部屋に帰り、軽くシャワーを浴びた僕の目にはいつものように留守番電話のボタンをチカチカと光らせる電話が見えた。毎度毎度飽きもせずに。誰に聞かせるでもなく呟いて履歴をみる。
「鉢屋」
馬鹿の一つ覚えみたく毎晩電話をしてくるヤツ。僕が出ないと知っているくせに。きっと昨晩もこの電話はあいつからのコールを誰もいない部屋に響かせ続けたのだろう。そんな事を考えると無性に誰かの肌に触れたくなった。アイツを無碍にする事で欲情するぼくは歪んでいる。あの男だけに反応するサディスティックな僕の一面を僕は嫌いではなかった。別に仲が悪いとか、そういうものではなくて。そもそも「仲良し」だなんて舞台に僕とアイツは立っていない。携帯の電話帳に名を連ねるのは女の子の名前ばかりで、時々兵助とか勘右衛門とか八左ヱ門の名前が出てくるけれど男はそれっきりだ。鉢屋の名前は無い。それはわざとでもあり必然でもあった。アイツからメールが来ることはないし、携帯にかけてくることはない。そもそも僕はあいつの番号をもう覚えてしまっているので登録しなくても見ればわかるというのもある。そして携帯にはかけてこないくせに、道楽で置いているような電話には毎晩のようにかけてくるのだ。

鉢屋との関係は、と聞かれても実際僕自身よくわからない。腐れ縁とでも言うのだろうか。けれど「トモダチ」では無いことは確かだ。一度だけ、そう一度だけ鉢屋が僕に言った。「抱いてほしい」。友達に抱いてほしいなんて頼むものか。だから僕たちは友達ではない。かといって恋人でもない。僕はその言葉に返事を返さなかった。抱いてほしいなんて言っときながらそれ以外を鉢屋は言わなかったからだ。例えば好きだの愛してるだのとか。あの言葉が本心からなのか当てつけなのか誰かの代田行為なのかわからない限り僕は返事をする気もなければ鳴り続ける電話に出る気もない。さて卑怯なのはどちら。


その日は何があったわけでも無いのに誰かに無性に会いたくて誰にも絶対会いたくなかった。こんな日が時々やってくる。少しばかりのこんな気持ちは女の子が癒してくれるけれど、あまりに酷いともう何も手につかない。誰かに会いたい、でもどこにも行きたくない。誰かの肌に触れたい、でも何もしたくない。矛盾した感情があふれそうで、自分の腕に爪を立てた。女の子の家を泊まり歩いたりはするけれど絶対に家には呼ばない僕の家を知っているのは兵助達だけで、彼らも呼ばない限り来ることはない。何もかもがどうでもよくなって携帯の電源を切って電気も消して暗い部屋の中眠れもしないのに布団をかぶった。寝てしまえば、朝がくれば、この感情はどうにかなるかもしれないのに眠れない。そんな時沈黙を保っていた電話が鳴った。きっちり10回コールを鳴らすと留守番電話に切り替わる。女性の機械的で事務的な声が「ただいま留守にしています」と告げる。電話の主はここにいるのに勝手に留守を告げる機械に少しだけ笑いたくなった。機械の声はなおも続く。「発信音の後にメッセージをお願いします」。メッセージが残っていた試しはないのできっともう電話は切れるだろう。そう思っていた。けれどその日は違った。ピーと機械音が鳴っても電話は切れない。機械音から何秒経ったろう、小さなかすれた声が「雷蔵」とだけ言って電話が切れる音がした。押さえ込んでいた感情が堰を切って溢れ出すのを感じる。どうして、どうして。どうしてあの時お前は好きだと言わなかったんだ。そんな昔のことを持ち出してここにはいない人物を責める。こんなに毎晩電話を、僕がとらないとわかっている電話をかけてくる勇気があるのなら何故、決定的な一言を言わないのだ。お前に名前を呼ばれただけでこんなに動揺している僕は滑稽だ。お前があの時ちゃんと好きだと僕に言っていれば僕の携帯に鉢屋三郎という文字は登録されて、馬鹿みたいな数の女の子の名前は登録されること無く、そしてアイツしかかけてこない電話のために毎月電話代を払い続ける事もなかったと考える僕は卑怯か。


すれ違った歯車がかみ合わない。それを埋めるために数え切れない女の子と夜を明かす僕。夜毎ただ電話を鳴らすアイツ。どうやったら歯車はかみあうのか、巧く回るのかわからない、わからないから苦しい。いつまでも苦しい。

お互い苦しいくせに一歩も前に進めないそんな深夜、夜明けは見えない。

 ラック・アンド・ピニオン


「184」を番号の前に付けると非通知として相手のディスプレイに表示されるのです。





2010/08/30
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